霊水に浮く巨大な石


 『播磨風土記』では、「原の南に石の造作物がある。その形は家屋のようで長さは二丈、幅は一丈五尺で、高さも同様。その名を大石という。いい伝えによると、聖徳の王の御世に弓削大連(物部守屋)が造った石である」と記されている。
 後半に書かれている部分に注目すれば、仏教を篤く信仰し、加古川の鶴林寺を創建した聖徳太子に対抗して、仏教に反対する物部守屋が、石の神殿を造ろうとしたのではないかともいわれたりもしている。

 石の縁起についての言い伝えによれば、その昔、大己貴命と少彦名命が力を合わせて国を治めているとき、神様が現在の高砂市阿弥陀町生石に降りてこられ、仮宮をつくってしばらくお住まいになっていたことがある。
 しかし仮宮では何かと不便ということで、本宮を造る相談をされ、一晩のうちに建てることになった。日が暮れると、ここにたくさんの人が集まって、仕事にかかり、みな一生懸命に働いた。
 夜明けが近くなり、いよいよ仕事も終わるかと思ったとき、天佐久女があわててやってきて、「阿賀神がそむいて、兵をあげ、今にも攻めようとしている」と叫んだのだった。
 知らせを聞いた大己貴命と少彦名命は、驚いて仕事を途中でやめ、軍隊を集めて、その奇襲を避けることができた。ところが夜が明けても、この宮殿を正面に戻すことができず、そのままになってしまったという。しかしながらそのとき二神は、「今後、この石にこもり、永遠に国土を鎮める」と誓われたため、それ以来、この宮殿を「石の宝殿」、「鎮の石室」と称す るようになったというのだ。

 確かに不思議な石ではある。しかも石そのものの謎ばかりではない。なんとこの巨大な石が水に浮いているといわれているのだ。よく見れば、周囲に水がたまっており、ちょうど浮いているように見える。そのため「浮石」とも呼ばれている。さらに不思議なことは、この水は昔から大雨が降っても若干増えるだけで溢れることがない。

 生石神社の略記によれば、この石を造る工程で生じた屑や石は膨大な量に及んだが、それを人や動物に踏ませてはならないと気遣って、一里ほど北に位置する霊峰高御位山の山頂に整然と捨てたので、池の中の水は霊水となり、どんな旱魃にあっても干上がることなく、海水の満干を表すほどになり、万病にも効果があるといわれている。