播州の穀倉地帯


 この市が飛躍的に発展したのは、江戸時代のこと。大阪が天下の台所として栄え、これを支える海上交通が発達したために、背後に播州の穀倉地帯をもつ高砂が、加古川流域に住む諸藩の年貢米が集まる港町として賑わいを見せ始めた。
 また、慶長6年(1601)、姫路城主池田輝政が加古川改修を行うと同時に、新高砂港が建設され、堀川が開かれ、収納米蔵(百聞蔵)を設置して港の機能を整えてからは、急激なる発展を見せていった。

 元和3年(1617)には、姫路城主となった本多忠政が町割りを行い、東西382間、南北360間の碁盤目のような面積約13万坪の市街地を作り、それが現在の高砂市の原型となっている。
 そのため高砂の町は、整然とした美しさで形造られ、しかも四季折々の自然の恵みを受け、春は桜(名所は鹿島・扇平自然公園と日笠山、鹿島川沿いのライトアップされた桜も見事)、秋は兵庫県の県花ノジギク(11月から12月初旬にかけて石の宝殿周辺や鹿島川沿いに見られる)に彩られる。

 町を散策すれば、その昔、張り巡らされた運河の名残を残す橋、倉庫群などをはじめとして、堀川周辺には格子戸をもつ民家が点在しており、往時をしのばせてくれる。
 なお高砂市は「ブライダル都市」宣言もしており、シンボルマークにも「愛の玉子」が使われ、未来永劫の二人の幸せを願ったデザインがなされている。